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Sketch Note

jorisketch.exblog.jp

ハンデキャップの冠

今もっとも話題となってるものと言えば
現代のベートーベンの話ですかねー。
耳が聞こえない天才作曲家の楽曲が、当人作のものではなかったと言うもの。

息子と夕食食べてる時に喧々囂々の議論になってしまったんですが
正か否かと言われれば、そりゃ否でしょう
要するに嘘ついてたことなんですから。

ただちょっと考えてしまったのは
彼が耳が聞こえない作曲家だという
前提条件が違ってたらどうだったんだろうかと言うこと。
元もこも、作曲家として認められてたのかな。
私に曲の善し悪しはわかりませんし
残念ながらこの人のものを意識して聞いたこともありません。
曲として素晴らしいものだったのか
この人がハンデキャップを押して作ったものだから素晴らしいのか。

フィギュアスケートの高橋選手は
「この曲が気に入ってる」と替える予定は無いそうですね。
彼の曲選びの一曲に入るきっかけは作曲家の名前だったにしても、
彼自身の選択の基準は曲を気に入ったかどうかだったんでしょうかね。
ならとても救われる話です。

でも一方で、彼の作曲家のハンデキャップが無かったら
果たして候補の曲に入ったんでしょうか?

この話とはちょっと異なるかもしれませんが
アートにおいてのハンデキャップについてちょこっと。

ずいぶんと前の話になりますが
まだ子供たちが小さかった頃、まだもちろん結婚してて
たまたま義父母の家に行きました。
そうすると義母さんが
これは素晴らしい画集なのよ!と見せてくれた本がありました。
それは両手が使えない人が口に絵筆をくわえて描いたと言う画集でした。

「素晴らしいでしょ?この人はね、〜で〜なって、両手が使えないのよ。
それなのにこんな絵が描けるんやよ!すごいねえー
この画集はすごく評判で、私も買ってしまったわ!」

義母さんがそう讃えてる画集を見て、私が感じたのは
「そんなにいいかなあ」ってことでした。

ごっつい装丁の画集。
本の帯には堂々と口に絵筆をくわえて描く作者と
両手が使えない天才画家…の文字。

しかし私には単純に普通の
…ちょっと稚拙な風景画と小物やキャラクターの絵にしか見えなかったんですね。

もちろん、手が使えずにこの絵を描いたのはすごいな、と思いました。
どれだけの努力があったろうと。
でも絵の評価は努力で認められるものだろうか。
この人の両手が使えない画家って言う冠を外したら
この本はそんなに売れたろうか。
義母さんは買ったんだろうか。

絵が売れる、と言うことがどれだけ大変なことか
描く人間なら誰もが知っています。
この人だって生活もあるだろうし、これが売れて潤うことはきっと喜ばしいことで
いいに決まってるんですが
私が思ったのは
この人はこれで絵の実力自体が評価されたと思って喜べるのかな
キワモノ扱いされてるって悲しくならないんだろうか、と言うことでした。

目が見えない画家。
足で描く画家。
自閉症などの症状で絵を描くしか出来ない画家。

いろんな障害のある画家がいらっしゃいますが

それらを乗り越えて描いた作品にある価値は
果たして芸術的な評価なんだろうか。
そこにあるのは努力の結果、と言う
単純に人からの同情心や努力に対する尊敬の念じゃないんだろうか。
それを買うのは同情心ではないんだろうか。

もちろんそんな状況に陥ったことの無い私のおごりかもしれません。

でもなんていうか、
ちょっと納得したくないものがあるんですね。
大した絵でもないものでも
障がい者の描いたものは素晴らしいのか。
その評価に芸術的評価の割合はどれだけ入ってるんだろうと、勘ぐってしまう。

一部の画家さんには、本当に素晴らしいもの描く方もいらっしゃいます。
技術どうこうではない迫力ある、感動してしまう絵を描く人もいらっしゃいます。

逆にそう言う人と
ただハンデキャップを売りにして描いてある稚拙な絵と
同じメガネをしてみられるのがどうしても納得いかないのですよ。

同じく絵を志すのなら
健常者も障がい者も同じ土俵であるべきだと。

アートの世界ではそうあるべきだと思うのでした。



………その人の立場になってみろ、と
言われたら何も言えなくなるんですけどね。
私も絵で食べてる人間の一人なのですから。
少しでも売れて潤いたいのは切望することですもん。


でも
すっごいねーがんばったねー、って言われるよりも
すごく素敵な絵ですね、って言われる方が私は嬉しいなと。

努力をほめられるより、絵自体をほめられる方がどれだけ嬉しいかと

………思ったものですから。
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by joribox | 2014-02-07 05:50 | Talk | Comments(0)